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11月18日 実行委員会開催!


11・3集会の問題点などをチェックするための「実行委員会」が11月18日(金)午後3時から行われました。
委員会では、集会の目的が「明治の日」実現のためのもので、法律改正が絶対必要な条件となり、この点は、明確に出来たとの評価で一致しました。
なお、当日は正午から実行委員5名により、全国会議員へ「明治の日を実現しよう!関連情報№1」を配布、「明治の日推進協議会」の認知度も高まりだしたようで、賛同の声が現れてきています。(事務局)
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産経新聞より 『歴史と伝統を踏まえた祝日を』

皆さんこんにちは。
本日は先だって産経新聞に我々の運動が紹介されましたので、そちらを案内いたします。
お読みになっていない方や産経新聞を購読されていない方は一度お読みください!
このようにドンドン広めていきましょう。


以下、引用↓

歴史と伝統を踏まえた祝日を(産経新聞平成23年11月12日「土日曜日に書く」)
                               論説委員 石川水穂


 「明治の日」目指す集会
 文化の日の11月3日、東京・九段で、「明治の日を実現しよう!国民集会」が開かれた。この日は明治天皇の誕生日で、戦前は「明治節」として祝われた。その本来の祝日に改めたいと願う人たちの集まりだった。
 渡辺利夫拓殖大学長は「明治の意義~栄光と苦難~」と題する記念講演で、「国家と国民がともに坂の上の雲を目指して進み、目標を共有できた時代が明治だった」と述べた。
 渡辺氏はさらに、明治時代の傑出した指導者として陸奥宗光外相を取り上げた。日本が日清戦争後の下関条約で得た遼東半島の還付を露独仏から求められた三国干渉に対し、陸奥がこれを受け入れ臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を期したことを「ポピュリズムにとらわれない迅速・機敏な判断だった」と評価した。
 また、大原康男国学院大教授は幕末の日米修好通商条約(1858年)などで奪われた関税自主権を回復したのが明治末の44年(1911)年だったことを指摘し、「不平等条約是正のために明治の一世をついやした。明治は主権回復の時代だった」と強調した。
 集会では、「(11月3日は)明治天皇と一体となり国づくりを進めた、明治の御代を追憶するための祝日である」「文化の日などという曖昧な祝日ではない」とする決議が採択された。

 占領下で成立した祝日法
 現行の祝日法は昭和23年7月に成立した。それまでの「祝祭日」が皇室の行事に基づき、国家神道の色彩が強いとして、改廃を求めるCHQ(連合国総司令部)の勧告を受け、23年1月から衆参両院の文化委員会で審議された。
 GHQの意向に縛られない意見も出された。
 2月26日の参院文化委員会で、緑風会の三島通陽は明治節の存続を求める請願の趣旨について、こう述べている・
 「明治の御代は新生日本の躍動する生命の源であり、政治に、文化に、経済に、あらゆる面において永久に忘れることのできない時代である。故にわれわれはこの明治節というものを通じて明治時代を永久に思い出していきたい」
 6月18日の参院文化委員会では、民主自由党の徳川頼貞が旧祝祭日の「紀元節(2月11日)について、「起源が非科学的であるという考え方もあるが、神話を神話として国民に伝えるのは差し支えないのじゃないかと考えたい」と述べた。
 2月11日は、初代神武天皇が即位したと伝えられる日だ。
 この間、総理府で世論調査も行われた。「祝日はどの日がいいか」との問いに、1位は「新年」(99%)、次いで「天皇陛下のお誕生日」(86%)△「建国の記念日」(81%)の順だった。

 紀元節にGHQが猛反対
 だが、紀元節を建国記念日として残すことにも、GHQ民間教育情報局のバンス宗教課長は「たとえ、国会で承認されても、許可できない」と強く反対した。日本側は紀元節の存続を断念した。
 また、11月3日は現行憲法が公布された日で、参院側はこの日を「憲法記念日」にしたかったようだ。しかし、衆議院側で新憲法が施行された5月3日を「憲法記念日」、11月3日を「文化の日」としたいとの案が示され、参院側もこれに従った。
 文化の日の意義は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」と新憲法を意識した文言になった。
 旧祝祭日で「新嘗祭(にいなめさい)」だった11月23日については、衆参両委員会の打ち合わせ会で、「労働感謝の日」と「勤労感謝の日」の2案が出され、多数の支持で後者に決まったとされる。
 新嘗祭は、天皇陛下が新穀を神様にお供えし、ご自身もそれを召し上がる最も重要な宮中祭祀である。「勤労感謝の日」では、本来の意義が分らない。
 GHQは昭和23年3月まで、祝祭日の国旗掲揚を禁止した。
 東京裁判の起訴状伝達は昭和天皇誕生日の21年4月29日、東條英機元首相ら7人の死刑執行は当時の皇太子殿下の誕生日(現在の天皇誕生日)の23年12月23日に行なわれた。「バターン死の行進」の責任を問われ、マニラで戦犯として裁かれた本間雅晴元中将の死刑判決は旧紀元節の21年2月11日、銃殺刑に処せられた日は旧神武天皇祭の同年4月3日だった。
 いずれも偶然とは思えない。
 戦後の新祝日法は、そのような状況下で、日本側がGHQに精いっぱいの抵抗を示しながら成立した半ば不本意な法律といえる。
 その後、紀元節は昭和42年、建国記念の日として復活したが、文化の日や勤労感謝の日はそのままだ。日本の歴史と伝統を踏まえ、本来の祝日のあり方を再検討すべき時期が来ているように思われる。

当日の動画が見られます!! 明治の日を実現しよう!国民集会

皆さんこんにちは。
昨日は11月3日の写真を掲載いたしましたが本日は当日の映像がYouTubeにありますのでこちらを紹介させてもらいます!

ちなみにYouTubeとは無料で動画を掲載したり閲覧したりできるところです。
下のタイトルをクリックしますと各動画のページが開きます。


国民儀礼・君が代斉唱11.11.3①明治の日を実現しよう!国民集会 (1分26秒)

塚本三郎・会長11.11.3②明治の日を実現しよう!国民集会(6分42秒)

小田村四郎・副会長11.11.3③明治の日を実現しよう!国民集会(6分38秒)

高池勝彦・事務総長11.11.3④明治の日を実現しよう!国民集会(6分14秒)

大原康男・参与11.11.3⑤明治の日を実現しよう!国民集会(14分14秒)

三輪尚信・運営委員11.11.3⑥明治の日を実現しよう!国民集会(13分18秒)

田中壮谷・代表委員11.11.3⑦明治の日を実現しよう!国民集会(4分25秒)

杉本延博・実行委員11.11.3⑧明治の日を実現しよう!国民集会(5分07秒)

小泉公子・実行委員11.11.3⑨明治の日を実現しよう!国民集会 (4分35秒)

祝電頂いた国会議員ご紹介11.11.3⑩明治の日を実現しよう!国民集会(0分53秒)

決議朗読11.11.3⑪明治の日を実現しよう!国民集会(3分50秒)

「明治の意義~栄光と苦悩」11.11.3⑫明治の日を実現しよう!(40分17秒)
 渡辺先生のご講演を全て聞く暇のない方はこちらの抜粋版をどうぞ↓
渡辺利夫氏記念講演抜粋11.11.3⑭明治の日を実現しよう!(5分59秒)

相澤宏明・事務局長11.11.3⑬明治の日を実現しよう!閉会の辞(3分55秒)


また、チャンネル桜さんでも取り上げていただきましたので
【歴史の回復】明治の日を実現しよう!国民集会[桜H23/11/7](6分09秒)
こちらは短くまとめられていますので集会の様子を概観する場合に適しています。

以上です。
当日会場にいらっしゃられなかった方、或いは今一度聞き直したいという方、明治の日についてまた推進協議会について周囲に紹介したい方など広くご利用ください。

それでは失礼します。

追記
当日の映像14本に「文部省唱歌 明治節」という動画を加えた15本が自動的に順番に見られるように編集されたものもあります。(こちら)
パソコンから離れて何か作業をしながらでも全て聞けます。適宜ご利用ください。

【続報!】 明治の日を実現しよう!国民集会

皆さんこんにちは!
今日は先日11月3日に行われた『明治の日を実現しよう!国民集会』の様子を写真で報告いたします。
なお当日の詳細なプログラムは11月4日の記事、【速報1】 盛大に「明治の日を実現しよう!国民集会」開催―速やかな明治の日実現を誓い合う― を参照してください。


開会の辞(司会 高澤一基本会実行委員)
高澤一基本会実行委員

挨拶
(塚本三郎明治の日推進協議会会長)
塚本三郎会長


(小田村四郎同副会長)
小田村四郎副会長

経過報告(高池勝彦同会事務総長)
高池勝彦事務総長


意見表明と決意表明
(大原康男本会参与)

大原靖男参与

(三輪尚信本会運営委員)
三輪尚信参与

(田中壮谷本会代表委員)
田中壮谷代表委員

(杉本延博本会実行委員)
杉本延博本会実行委員

(小泉公子本会実行委員)
小泉公子実行委員


決議朗読(荒木紫帆本会実行委員)
荒木紫帆実行委員


記念講演「明治の意義~栄光と苦悩~」(渡辺利夫拓殖大学学長)
渡辺利夫拓殖大学学長

講演の様子



閉会の辞(相澤宏明本会事務局長)
相澤宏明事務局長


また当日は計400名もの方々が参加してくださいました!ありがとうございます!
以上のような様子で明治の日推進協議会 最初の国民集会は行われました。

【速報2】 第二十回桃山御陵参拝団に約180名!

明治天皇の御霊は京都市伏見区の桃山御陵に鎮まっておられる。
関西では、毎年11月3日に有志が参拝団を組織して桃山御陵への集団参拝を続けてきた。

20回目にあたる本年は、産経新聞・大阪版(11月1日朝刊)に掲載された広告を見て参加した方など約180名の参拝団となった。
第二十回桃山御陵参拝団に約180名!_1

明治天皇御陵の大御前に最敬礼した後、国歌を斉唱。御製を一同で奉唱した後、団長が表白文を奏上。最後に「明治節」の歌を斉唱して御聖徳を仰いだ。昭憲皇太后御陵の大御前でも国歌を斉唱し、御歌を奉唱した。


参拝団おなじみの石段下における記念講話では、所功先生(京都産業大学法学部教授)が「明治天皇の御崩御と御大喪」と題して御崩御から御埋葬に至る過程について秘話を交えながら概説された。
お人柄や京都との御関係などにも言及され、明治天皇に対する新たな視点を御教示頂いた。併せて、「明治神宮」創建運動や「明治節」請願運動の歴史的意義を説かれ、始まったばかりの「明治の日」請願運動には大きな意味があると30分に及ぶ講話を終えられた。

第二十回桃山御陵参拝団に約180名!_2

第二十回桃山御陵参拝団に約180名!_3

第二十回桃山御陵参拝団に約180名!_4

第二十回桃山御陵参拝団に約180名!_5


その後、金子宗徳実行委員から関西「明治の日」推進協議会に関する説明があり、関西から大きなうねりを作っていこうと進行役が締め括った。参拝団に加わったのは昨年に引き続き2度目だが、改めて明治天皇の御聖徳を感じた一日であった。

第二十回桃山御陵参拝団に約180名!_6



山本和幸(関西「明治の日」推進協議会事務局)

【速報1】 盛大に「明治の日を実現しよう!国民集会」開催     ―速やかな明治の日実現を誓い合う―


 11月3日(祝)午後2時より、東京九段のベルール九段において、明治の日を実現しよう!国民集会が開催された。

 国民儀礼として国歌を斉唱、司会高澤一基本会実行委員による開会の辞のあと、
 主催者を代表して
 ・塚本三郎明治の日推進協議会会長、 
 ・小田村四郎同副会長より挨拶、
  そののち経過報告が
 ・高池勝彦同会事務総長から行われた 
(本会規約、役員はホームページに掲出)。

 ついで、明治の日実現にむけ、
 ①大原康男本会参与(國學院大學教授)
 ②三輪尚信本会運営委員(皇學館大學非常勤講師)
 ③田中壮谷本会代表委員(国柱会賽主) 
 ④杉本延博本会実行委員(関西明治の日推進協議会・御所市議会議員)
 ⑤小泉公子本会実行委員(主婦)
の各氏より意見表明と決意表明が行われた。
 
つぎに「決議採択」(荒木紫帆本会実行委員朗読)があり、以下の決議が参加者全員の賛同を得て採択された。


 決議(全文)

 十一月三日は、明治天皇のお誕生日、かつての明治節である。
 明治天皇崩御のあと、昭和二年三月三日に国民の請願を受け制定された。
この日は、日本国が近代化するにあたり、わが民族が示した力強い歩みを後世に伝え、明治天皇と一体となり国づくりを進めた、明治の御代を追憶するための祝日である。
したがって、現行の文化の日などという曖昧な祝日ではない。
 曖昧さを払拭できず、伝統と乖離した現行の祝日は、戦後、昭和二十三年に制定された祝日法によっている。この法律は、占領軍の意向を反映させたもので、わが国の伝統を喪失させる目的のもとに制定された。ゆえに文化の日などという曖昧な名称が付されている。
 しかるに、昭和天皇の崩御ののち決定した祝日みどりの日が、平成十七年に昭和の日に改められた。昭和天皇のお誕生日である四月二十九日をお祝いするための、適切な名称を望んだ多くの国民の請願を受け、衆参両院において可決されたのである。
 この快挙に倣うなら、文化の日も明治の日に改められなければ、首尾一貫しない。すなわち「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」とある昭和の日の趣旨は、「明治の時代を追憶し、わが国の近代化における苦難と栄光に思いをいたす」という趣旨にもとづく明治の日に連動されてこそ、その意義も徹底する。
 以上のような考えのもと、平成二十年より「明治節を奉祝する集い」を開催し、文化の日を明治の日に改める活動を展開してきた。そして、本日ここに「明治の日推進協議会」を新たに結成し、一千万署名を目指し、国会請願活動を開始することとなった。
心ある国民の声を結集し、国会議員に働きかけ、速やかに明治の日を実現するために渾身の力を傾注する。
右、決議する。

 平成二十三年十一月三日

             「明治の日を実現しよう!国民集会」参加者一同




 そののち記念講演に移り、渡辺利夫拓殖大学学長より「明治の意義~栄光と苦悩~」と題して約40分間講演があった。
渡辺講師の明治に対する思いが迸り、当時の緊張した国内国外の情勢に如何にわが日本人が取り組んだかにつき感動的に語られた。
 最後に、相澤宏明本会事務局長より閉会の辞が述べられ、今後の健闘を誓い合い、午後4時過ぎ、予定どうり終了した。

 今回の集会は、明治の日推進協議会設立記念として行われたもの、無事に船出したが、今後の目標として
 ・目標一千万署名の実現
 ・国会議員への働きかけ
 ・地方組織化への取り組み
 ・全国紙への意見広告

などが示された。
 また、会の運営全般にわたり、多くのボランティアが参加、縁の下で協力いただいたことを併せて報告いたします。

 なお、翌11月4日に、当日採択された「決議」を、全国会議員に配布した。(事務局)

いよいよ11月3日です!

皆さんこんにちは!いよいよ11月3日、改めて本日の集会の案内を致します。

『明治の日を実現しよう!国民集会』
会場:ベルサール九段ホール
開場:13時30分
開会:14時00分
記念講演:拓殖大学学長の渡辺利夫先生「明治の意義~栄光と苦悩~」


奮ってご参加ください!また今回いらっしゃられない方も是非今日は明治と日本について思いを馳せてください。ブログでは集会の報告も上げますので、そちらもお楽しみに。

それでは失礼します。

田山花袋 『田舎教師』のなかの天長節

 ▼田山花袋の『田舎教師』は病死した青年教師の日記などをもとに明治の末、書かれている。その中に11月3日の天長節、つまり明治の天皇誕生日のことが出てくる。埼玉県北部、文字通りの田舎の小学校を舞台に一日の様子が詳しく描かれる。
 ▼先生や生徒、父兄、それに村の有力者らが晴れ着姿で集まり「君が代」などを歌う。子供たちはお菓子をもらって帰るが、先生や村長たちは茶話会に移り、さらに田んぼの中の料理屋での「2次会」に繰り出す。そこで校長と村長は今年の豊作について話しこむ。
 ▼菊の香が馥郁(ふくいく)として漂ってくるような季節感の中で、どこか浮き浮きとしたタッチである。地方の隅々に至るまで、天長節が楽しい行事として国民の生活に溶け込んでいたことをしのばせる。明治という時代の日本人の一体感のようなものをも感じさせる。
 ▼ちなみに明治の後、大正の天長節祝日はその3日前の10月31日だった。大正天皇の誕生日は本当は8月31日なのだが「暑くてお祝いする国民が大変だから」と2カ月遅らせたのだ。明治の天長節の雰囲気を引き継ぎたいという思いもあったのかもしれない。
 ▼その11月3日は当然のことながら、大正となって平日に戻った。だが「明治天皇やその時代をしのぶ日がほしい」という声が強まり、昭和2年「明治節」として復活した。それが戦後、CHQの意向で「文化の日」と変わり、今や祝日の名称としてはすっかり定着した。
 ▼だがせっかくそんな由来を持つ日である。どこかに『田舎教師』が描く明治という時代の活気や一体感を伝える日とならないものかと思う。「体育の日」にも書いたが、歴史や伝統を受け継ぐことに祝日の大きな意味がある。(平成23年11月2日「産経抄」)
プロフィール

ikisaka

Author:ikisaka
11月3日を「文化の日」から「明治の日」に替えるための明治の日推進協議会のブログです。
HP→ http://meizinohi.web.fc2.com/

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