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『そうだったのか!皇居勤労奉仕で判る国体』へのコメント

皆様、こんにちは!
昨日まで四日間に亘って、愛国行進曲様が当ブログのコメント欄に寄せてくださった皇居勤労奉仕レポートの転載記事を書いてきました。
【愛国行進曲様】①そうだったのか!皇居勤労奉仕で判る国体
【愛国行進曲様】②そうだったのか!皇居勤労奉仕の初めて物語
【愛国行進曲様】③そうだったのか!赤坂御用地、皇族様方の御住まい
【愛国行進曲様】④そうだったのか!皇居勤労奉仕で判る国体

これに対しまして、明治の日推進協議会 相澤宏明事務局長よりコメントが届いておりますので以下に引用します。
↓↓↓

愛国行進曲様4回にわたる皇居勤労奉仕の感想文を頂き、感銘して拝読しました。国民として天皇陛下のお近くに参上できる事は、何よりの幸福感を持ちうることと思います。天皇と国民が一体になるすがたをどのように表すことが出来るか、色々の方法があるでしょうが、要は日常生活における一体感を国民一人ひとりが努力し、醸成させることこそが肝心と思います。平成19年から実現した「昭和の日」や、今われわれが実現を目指している「明治の日」の意義は、祝日を通じて国体意識を培うことにあると思います。また、そうした実現に向けての努力こそが国民としての責務であると信じます。愛国行進曲様の今後のますますのご活躍をお祈りし、一言感想を述べさせていただきました。



以上です。
このように、当ブログは直接明治の日に繋がらないような事でも、明治の日に賛同される方・反対される方・興味を持たれる方の情報交換や意見表明、質疑応答をする交流の場としても考えています。
気軽にコメント欄に書き込みください。場合によって今回のようにブログの記事にして紹介させていただきます!

それでは!
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【愛国行進曲様】④そうだったのか!皇居勤労奉仕で判る国体

こんにちは!
ついに愛国行進曲様の皇居勤労奉仕レポートも最後の四日目です。(第一回第二回第三回
それではどうぞ!
↓↓↓


『そうだったのか!皇居勤労奉仕で判る国体』

本日は晴天である。日焼け防止のための作業用のベージュの帽子が見つからず、派手な服装は禁止を承知で赤色の帽子を被って電車に飛び乗る。

桔梗門に到着すると、先に着いていた女性陣の老いも若きも「その帽子可愛い!被らせて!」と皆が順番に被っては褒め合う。赤い帽子一つで、女学生のような華やかさになる。
私は服飾業界に関わる身であるが、こんな風景を久々に見て感動すら覚えた。女性がお洒落を面倒に思い、イージーな物、人と同じ物にしか興味を示さない昨今、この人達はなんて可愛いらしいのだろうと。流石に連日の疲れで体調を崩す人も出る中だが、朝から華やいだ気分になる。
休息所に入ると宮内庁の職員が帽子の忘れ物がありますけどと、届けてくれたのが私のベージュの帽子であった。もしかして、この帽子は皇居にお泊まりしたのですねと言って受け取る。爆笑であった。大胆不敵な帽子である。

今日の作業は宮殿周りである。担当者は東御苑のベテランの弟子なので、やはり後ろ向きで私達の顔を見ながら、歩く技を持つ。
長和殿の脇のドアから中庭に入る。芝生の緑が美しい。宮殿の御部屋名とそこを使用する方、目的等聞いて居ると、一斉に御簾のようなデザインの外扉が自動で上に巻き上がる。壮観である。一同歓声をあげるが、担当者曰く「ボタン押すだけですけどね」
中庭の端には循環型のせせらぎがあり、その後には巨大な寄せ植えがあり、大型の築庭になっている。7月頃には平家蛍が200匹位現れるそうだ。夜の照明は落とされるからさぞや幻想的な眺めだろうが、ご覧になれるのは天皇陛下だけだそうである。
因みに源氏蛍は小型で数も少なく、吹上御所でしか生息していないのだそうだ。
築庭を登ると丘になっていて、御馬見所という古い小さな日本家屋がある。職員でも此が何に使用されたのか判らないというのでおかしいではないか?発言したら、彼の次回までの宿題になってしまった。

この辺りには、民間から明治天皇に献上されたらしいブロンズのオブジェが並べてある。丹頂鶴のツガイ、狛犬、阿吽、とか訳の判らない物まで。その奥に宝物殿があり、右側に下ると宮殿の裏庭になる。桐の花が咲き甘い香が漂う。
広い裏庭にポッカリと穴が幾つか見える。モグラだそうである。此処をお通りになるのは天皇陛下だけなので、陛下が楽しみにご覧になっているそうで、モグラは巣立ちが早いので、単体で生息しておりすぐに住民が変わるらしい。名前を付けられて呼んでおられるのかもしれない。
皇居には物凄い数の動植物がいるので、生物学者等もよく研究に来られ、担当者が案内をするので勉強になるそうだ。

作業は、本日午後より行われる新任駐日大使夫妻とのお茶会がある為、車寄せ周りから警備員詰所までの清掃と草取りである。
大使の着任、離任には皇居まで馬車を指定することが多かったそうだが、昨年の震災の直前に急に馬が暴れ出したそうで、抑えようとした職員が二人怪我をした為、今は車での送迎になっているとの事。
そんな話を聞きながら、道沿いは綺麗になっていく。

昼過ぎから急に雲行きが怪しくなり、落雷の危険がある為午後の作業は中止ときまる。しかし、両陛下の御会釈は蓮池参集殿にて予定通り行われるとのことで、2時に整列して参集殿まで歩く。
3グループが団長が前に立ち、緊張して待つと、いよいよ空は暗くゴロゴロと雷鳴がする。冷たい風と共に雨が激しく降りだした。
皆、心配げな顔で両陛下が御出になる御所の方向を見ている。
警備員が二人、入り口に立つ。皆が息を詰めて待つ。黒い御車がゆっくりと入り口に着く。警備員の傘の下に皇后様が御出座しになり、いつもTVで拝見するのと同様に、軽く頭を御下げになり天皇陛下の御出座しを待たれる。
ドアが開き天皇皇后両陛下が、全員を御覧になりながら御入りになる。一同、最敬礼。先ず私達のグループに向かわれる。団長の前に立たれる。最敬礼。
団長が出身地、団体名、人数を報告申し上げると、どのような集まりか?神奈川の何処か?と御下問がある。両陛下は御顔を寄せて、真剣に団長の説明を御聞きになる。私は団長の直ぐ後ろに立っていたので、手の届く距離である。失礼とは思いながらも両陛下の御顔から目を離す事ができなかった。
最後に天皇陛下が、[皆さんお元気で。]と仰って次の熊本県からのグループに足を向けられる。最敬礼でお見送りする。両陛下のお声は、小さいけれど澄み渡って、美しい。なんという心地の良い響きだろうか。玉音。
徳川夢声が、日記に記した昭和天皇の玉音放送のときと同じだと思った。
隣の熊本県からのグループは、神職だと言う団長が体調不良で欠席しており、かわりに副団長が御下問を受けた。皇后様が[団長さんの御加減は如何ですか?]と二度御聞きになったが、緊張してか、御心配をお掛け出来ないと思ってか、大丈夫です。としか答えない。皇后様の奉仕の人達への思いの強さは伺っていた。どうしても、団長の状態を御知りになりたかったのだ。皇后様は少し首を傾けられて、隣の天皇陛下の腕にそっとご自身の手を添えられた。すると、それまでじっと副団長の顔を御覧になっていらした天皇陛下が[団長さんの御加減は如何ですか?]と少し大きな声で御下問された。
まさに、阿吽の呼吸とは此れなのだと、私は強く胸を打たれた。と同時に、皇后様の御様子が(失礼ながら、)余りにチャーミングで脳裏に焼き付いて離れないのである。千葉県のグループまで御会釈が終わる。両陛下が中央にお立ちになると、団長三人が進み出て、天皇陛下、皇后陛下、万歳を三唱する。両陛下を御前にしての万歳三唱だ。こんな力が入る万歳は見事である。
両陛下は別れを惜しまれるように、何度も何度も振り返えられる。一同、最敬礼である。
御車がまた、ゆっくりと御所へ戻られる。大雨の中、御車の窓を全開にされたまま、両陛下はお手を降られる。手前の皇后様は御顔をまどから出されるくらいに私達を御覧下さる。皆、窓際に集まって手を振り合う。
御車が垣根に隠れてしまうと、自分の親との別れのように涙が込み上げてくる。


両陛下の御会釈のあと、私達も心がほぐれるかの様に、神奈川も熊本も千葉も手を取り合い、別れを惜しむのであった。両陛下の歩まれた道には、私達日本人がひとつになれる力があるのである。
私は幸せだと思った。私達日本人には両親を越えた親がもう一人居てくださる
。2672年間ずっとそうして我が国は生きてきた。それは、これからも揺るぎないものであると、しみじみ実感した。


終わり。

【愛国行進曲様】③そうだったのか!赤坂御用地、皇族様方の御住まい

こんにちは!
愛国行進曲様による皇居勤労奉仕レポート第一回第二回にひき続き本日も引用させてもらいます!
↓↓↓

そうだったのか!赤坂御用地、皇族様方の御住まい

御奉仕、第3日目は赤坂御用地。

本日は曇りで風も冷たい。作業には有難い。
此方も隊列を整えて人数の確認から始まり、入門すると休息所へ向かう。休息所の担当だったオバサンが定年退職したそうで、庭園課の職員が世話をする。一息入れる間もなくまた整列して、森の道を行くと登り坂になる。高い芝生の斜面に腰を下ろすと担当者の説明が始まる。

芝生は急勾配になっていて、冬に雪が積もった折には、敬宮様や久悠様がそり遊びをなさったとか。その下の池の周りに歩道があり、園遊会が行われるのだそうである。
芝生の庭園以外は深い緑の森がぐるりと続く。東宮御所、各宮家の御住まいの場所をあの辺り、と各々教えられる。

それにしても、奇妙な眺めである。赤坂御用地の中から外を眺めている私達は、嫌な気分になった。。理由は、御用地の外側はすぐに国道246号線である。国道を挟んだ道沿いにびっしりと超高層ビルが建ち並んでいて、どのビルもガラスガピカピカ輝いている。森の上にニョキニョキと光っている。大会社だか、大金持ちの億ションだか知らないが、まるで御用地を睥睨しているかのような建物群。
建築基準は無いのだろうか?これでは皇族の方々は落ち着いて御住まいになられまいと憤慨することしかり。
ゼネコンと官僚と政治家の、常識はずれもタイガイにして欲しい。不敬な拝金主義者を取り締まる法律が必要だと言い合う。

さて、怒りを治めて耳を澄ませばサラサラと水音がする。これは背後の森の中にある迎賓館に来客がある事を伝えているそうだ。
芝生を下り、園遊会の庭園を見学する。今はアヤメ、カキツバタが咲いている。
外の喧騒も届かず静かなものである。


さあ、作業の開始だ。私達は温室に向かい、バケツリレーの様に、沢山の菊の鉢の移動させる。玉砂利をスコップで一輪車にのせて道に敷く。地面は雑草だらけなので、此方も抜く。三日目になると余裕も出て、四葉のクローバーがあったと言って、名札の中で押し花にしたり和気藹々である。
午前中の作業が終わり休憩室で昼食。今日は私と他に二人がお茶当番を仰せつかる。
オバサンが居ないので、庭園課の職員が指示を出す。結構細かい。

午後2時からいよいよ、東宮御所へ参上して皇太子殿下の御会釈を賜る。

身仕度を整え、隊列を組んで歩く。
丁度、幸運にもパラパラと雨が落ちてきた!やった!と皆思ったに違いない。
御会釈は、よく靴の土を落として、御所内の広間に通される。
東宮の職員から説明を受け、暫く待つ。
警備の人がドアの前に進む。ドアノブに手を掛けて待つ。部屋中緊張が走る。
コンコン!外からノック音!
ドアが観音開きに開く。皇太子殿下がにこやかにお出ましになる。一同、敬礼。
3団体の団長が各々のグループの前に立ち、皇太子殿下が前においでになったら、出身地、団体名、人数を報告する。皇太子殿下からは、労いの御言葉を頂戴し、全てのグループが終わると、皇太子殿下、皇太子妃殿下に万歳三唱をする。
また、敬礼の姿勢をとる私達に、何度も何度も、ふりかえられ殿下は退出された。
週刊誌や保守的な雑誌まで、色々と勝手な事を書いてるが、皇太子殿下は凛としておられ、温かいお心がみんなに伝わった。目頭が熱くなり、妃殿下の御回復を祈るばかりであった。
心がぽかぽかして、午後の作業に戻る。

一日だけの赤坂御用地だっが、担当者とも別れ難く手を振り合い、隊列にて帰路につく。

明日は、最終日。天皇皇后両陛下の御会釈が予定されている!


続く!

【愛国行進曲様】②そうだったのか!皇居勤労奉仕の初めて物語

こんにちは!昨日に引き続き愛国行進曲様の皇居勤労奉仕レポートを引用いたします。
↓↓↓


『そうだったのか!皇居勤労奉仕の初めて物語』

皇居勤労奉仕2日目は東御苑である。

東御苑担当者に引率され、隊列を整え行軍開始だ。
この担当者はベテランで、自分は後ろ向きのまま私達の顔を見ながら説明しつつ歩く。担当者が指示を出す。
「はい、男性はソコのベンツ持って来て!」
奉仕団のベンツとは掃除道具満載のリヤカーである。
東御苑は戦後GHQにより皇居から分割された為、一般公開されているエリアである。この日もはとバスの団体客や外国人とすれ違う。御苦労様ですと頭を下げてくれる人もいて、心が和む。
松の大廊下跡や大奥跡は今や森と芝生の西洋式公園になっている。ただ江戸城の石垣が残っており、石の積み方や産地や種類等の説明を聞く。江戸時代初期は海がすぐそこまであった為、和歌山県等の遠方からでも人の力だけで運べたのだという。
コンピューターや重機の無い時代には、人は知恵を使う。


今日の作業は白鳥堀際の植え込みの雑草取りである。
雑草も草花だと仰って無闇に刈ることを許されなかった昭和天皇陛下も、外来種だけは駆除を許可されたそうである。ハルシオンやヒメジオン、ツル草、アザミの外来種のみ探して抜く。

「きゃ~!気持ち悪い~!」絹を裂くかの女性の叫び。
なんだなんだ?土中から紅茶ゼリーの塊みたいな巨大な物体が。
担当者曰く
「あーそりゃキクラゲだ」
皇居は全て無農薬、高価な天然ものである。
皆、初めてキクラゲが土中に生息して、こんな形態だと知って驚いた。

作業の合間に香淳皇后の御還暦を御祝いして建てられた桃華楽堂を見学する。日本中の陶芸家がタイルを焼き上げ、モザイクで四季、松竹梅の模様を付けてある。今でも色褪せ無い技術である。

隣は書陵部で皇室に関する資料が全てある。御成婚前の紀子様が半年間通われたそうである。

奉仕団は、昭和20年秋、空襲で焼け落ちた皇居を見て何とか修復しようと、宮城県から米、味噌を背負ってやって来たのが始まりだった。
当時、GHQやMPがウロウロしている皇居に入るのも命懸けだったが、瓦礫を撤去し、草を刈り、自炊しながら整備したのだそうである。
それが現在まで続き、延べ100万人を超え、年間7000人の奉仕があるという。
今でも、参加費、交通費宿泊費、弁当代は自前であるが、震災の年でさえ必ず出来る者がやって来る。
天皇陛下と民の交流はどんなことが起ころうと途絶える事がない。
本日より熊本県と千葉県の奉仕団が加わり総勢75名となる。


いよいよ3日目は、赤坂御用地の御奉仕で、皇太子殿下の御会釈が予定されている!

まだまだ続く。

【愛国行進曲様】①そうだったのか!皇居勤労奉仕で判る国体

皆様、こんにちは!
先日(5月14日~17日)当ブログにのコメント欄に、愛国行進曲様より皇居勤労奉仕に参加した際のレポートが寄せられました。そこで折角のレポートが目につき難いコメント欄ではなんだ、とゆうことで今日から4回ほどにわけて紹介さて貰います!
では第一回!
↓↓↓


『そうだったのか!皇居勤労奉仕で判る国体』

真実を知りたいなら現場へ行くにかぎる。民間人が皇室を知りたいなら、皇居勤労奉仕に参上するのが良いと思い連休明けより、4日間御奉仕に参上した。

初日は白い割烹着に白鉢巻きも凛々しく、宮内庁の庭園課の方に引率され、隊列を組み行軍だ。

皇居は広大だ。しかも勿論、両陛下の御住まいである。常に人数確認から始まる。
植物園では国賓の来日した折に宮殿玄関に飾る樹齢550年や300年という松の盆栽を見る。8人係りで運ぶそうである。どれもウネウネと曲がり、穴が空き見事な老樹っぷりである。皆、溜め息をついて見とれる。此を見るだけでも、我が国の長い伝統、技術、粘り強さが良く判る。よそのどの民族にこれが、出来ようか。

次に、宮中三殿の門の外から全員整列して拝礼。皇后陛下、皇太子妃お二方だけ使用出来る控え所、宮家の方々の控え所を外から拝見する。
どちらも戦前の日本家屋のように小さくて古くて質素である。それに驚く。

午前中の作業は、天皇陛下の御研究所前の水田の畦道作りと、桑畑の整備である。
御研究所は、TVで見ると広々と見えるが、矢張古くて質素で、こう申し上げては失礼だが、古ぼけた小さな平屋である。トイレ等は昭和の学校を思い出す。
民間人の方が余程モダンな家に住んでいるねと囁き会うほどだ。両陛下の御日常がどれ程質素であるかが偲ばれる。

他国の王家とのちがいである。

昼飯は一旦、休憩室まで戻る。
午後の作業は、皇后様の御養蚕所、紅葉山に向かう。武蔵野の自然が残る山道を、草木や動物、花の名前等説明を聞きながら歩く。懐かしい風や花の薫りを感じる。
御養蚕所も大正の建物だそうで、ともかく古くて質素である。

数日内に両陛下が御覧になられると伺い、雑草を刈り、落ち葉を掃く。
午後3時には作業が終了して、隊列を組み休憩室まで戻る。万歩計はすでに2万に近い。

帰り仕度を整え、また整列して桔梗門から退出する。
空気がちがうのである。矢張神域なのである。此処に天皇皇后両陛下が居られ、何時も私達と共にいてくださる。こんなに有難い国が他に有るだろうか。
皆が、深い感動を胸に、各々の帰路についた。


2日目に続く!

プロフィール

ikisaka

Author:ikisaka
11月3日を「文化の日」から「明治の日」に替えるための明治の日推進協議会のブログです。
HP→ http://meizinohi.web.fc2.com/

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