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より強力な情報発信!新「明治の日推進協議会ウェブサイト」公開!

 新たに選出された参議院議員を含めた国会での議論進展を控え、明治の日推進協議会では、情報発信を強化するべくウェブサイトの装いを新たにしました。
 以前からのURLでもアクセス出来ますが、下記URLが新しいアドレスになります。
 ぜひとも御覧下さい。

http://meijinohi.com/

明治の日.com
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東京新聞「メディア観望」欄・「なぜ、今、「明治の日」か」で明治の日推進協議会が取り上げられました

本日、東京新聞に掲載された記事をご紹介致します。
「天皇の権威を高めることで、戦前の国家主義的価値観への回帰は時代錯誤」などというレッテル貼りは不正確そのものです。

【東京新聞】271208なぜ、今、「明治の日」か

平成27年「明治の日」を実現する集い決議文

 平成27年「明治の日」を実現する集いで採択された決議文を掲載致します。

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   決 議

 西洋列強に不平等条約を押し付けられた先人は、その圧力を跳ね返すべく幕藩体制を打破し、明治天皇の下で近代国家の建設に取り組んだ。日清・日露の対外戦争に勝利し、領事裁判権の撤廃と関税自主権の確立を実現して真の独立を達成する。

 昭和二年、明治の御代を顕彰せんとする国民の運動が実り、明治天皇御生誕の日である十一月三日が「明治節」と定められたにもかかわらず、大東亜戦争敗戦後の占領政策の一環として廃止されてしまう。代わりに、日本国憲法の公布を記念して「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを目的とする「文化の日」が制定された。人間は誰しも「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを望むが、その具体的内容について国民的了解が得られているとは言えず、特定の一日と敢えて結び付ける必要もない。

 我ら国民有志は、明治時代に思いを馳せつつ、平成の現在において国民として何をなすかを考える契機とすべく、十一月三日を「文化の日」から「明治の日」へと改める祝日法改正の請願署名運動を平成二十年から展開してきた。こうした訴えは、良識ある国民の支持を得て数多くの署名が集まった。

 国民の選良たる国会議員各位におかれては、この熱烈なる国民の声を真摯に受け止め、明治維新から百五十年目の節目に当たる平成三十年までに「明治の日」制定を実現すべく、速やかなる法案の提出を強く求める。

 右決議する。

   平成二十七年十一月十一日

                     「明治の日」を実現する集い参加者一同

明治の日、さらなる前進を確認した集会に!

 平成27年11月11日(水)午後5時半より、国会憲政記念館において明治の日推進協議会主催による「明治の日」を実現する集いが開催しました。
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 当日の集会は、高澤一基・実行委員(板橋区議会議員)の司会で始まり、国歌斉唱の後、中尾哲雄・本会会長代行(元・株式会社インテック最高顧問)が壇上に立ち、「明治の日推進協議会発足から早五年。いよいよ明治の日実現を目指したい」と開会の辞を述べました。
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その後、主催者を代表して塚本三郎・本会会長(元・民社党委員長)が「国民から国会議員に叱咤激励する会だ」と壇上から檄を飛ばし、続いて、高池勝彦・本会事務総長(弁護士)が全国各地で集めている《11月3日 「文化の日」を 「明治の日」 に改める請願》の署名総数(平成27年10月31日末現在)を604,449筆と発表いたしました。
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 そして、署名総数を記した目録が高池事務総長より元国務大臣の自由民主党衆議院議員・古屋圭司先生に手交されました。それを受けて、古屋先生が「明治という一時代は極めて重要な一時期。だからこそ私達は『明治の日』を法律で制定する。この意義があるということをしっかり訴えていきたい。そのためにも超党派の国会議員連盟を結成したいと動いている」と明言され、会場からは激励の拍手喝采が起りました。271111s04.jpg


さらに、登壇された国会議員の方々から御挨拶頂きました。次世代の党幹事長・政調会長の参議院議員・和田政宗先生からは「『広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ』始まる五箇条の御誓文があり、われわれの近代民主国家がある。その精神に立ち返らなければならない。議員連盟結成の際は次世代の党は全員参加させて頂く」との決意が示されました。
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次いで、自由民主党参議院議員・赤池誠章先生は「それぞれの立場・役割で明治の時代にもう一度立ち返える。これが明治の日の意義である」、農林水産大臣政務官の自由民主党衆議院議員・中川郁子先生は「明治から学ぶことは日本人が自信を取り戻すことだ」と「明治」という時代の偉大さを強調されました。また、前衆議院議員の山田宏先生からは「『明治の日』を必ず実現したい。私も『明治の日』制定を公約に掲げて来夏の参院選を戦いたい」と力強い決意表明があり、民主党政調副会長の衆議院議員・鷲尾英一郎先生からは「文化の日といい、新嘗祭にあたる勤労感謝の日といい、歴史を断絶させる占領政策の一環。祝日法改正の機運を一緒に盛り上げていきたい」と超党派で取り組む意思が示されました。
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 なお、内閣総理大臣補佐官の自由民主党参議院議員・衛藤晟一先生、自由民主党参議院議員・藤川政人先生、衆議院議員・野間健先生のお三方は、公務御多用の中、会場に駆けつけて頂きましたが、お時間の関係で御挨拶叶いませんでした。この場を借りて、御詫び申し上げます。

 また、前国務大臣の山谷えり子参議院議員、長尾敬衆議院議員、田中茂参議院議員、田端裕明衆議院議員、櫻田義孝衆議院議員、保岡興治衆議院議員、宮崎謙介衆議院議員、富岡勉衆議院議員、武村展英衆議院議員、土屋正忠衆議院議員、宮澤博行衆議院議員、古田圭一衆議院議員、宮路拓馬衆議院議員には代理出席を賜りました。加えて、江戸川区議会議員・須賀精二先生、中野区議会議員・内野大三郎先生、板橋区議会議員・高澤一基実行委員など多くの地方議員も御出席下さいました。その他、山谷えり子参議院議員、松本純衆議院議員、佐藤正久参議院議員、宇都隆史参議院議員、西村真悟前衆議院議員、田沼隆志前衆議院議員からは祝電を頂戴しました。重ねて御礼申し上げます。

 続いて、本集会開催にあたっての決議(案)が福永武・本会運営委員により朗読され、満場の拍手で採択。決議文が鷲尾先生に手交されました。署名目録は与党第一党たる自由民主党の古屋圭司先生に、決議文は野党第一党たる民主党の鷲尾先生に手交されたわけです。今回の集いを契機に、与野党一体となって速やかに国会議員連盟を結成し、国会の場で「明治の日」制定を力強く推進して頂きたいと思います。

 その後、杏林大学名誉教授で日本会議の会長も務められている田久保忠衛先生から「明治の日の意義」として御講演頂きました。国際政治学が御専門の田久保先生は、国際的な視点に立って「神武建国以来の偉業であった」明治維新を捉え、日本という国の在り方を問い直されました。明治維新の先駆けとなった水戸天狗党の乱に加わった志士の御子孫にあたる田久保先生のお話は、聴衆の心を大きく揺さぶるものでした。
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 講演終了後、厳しいスケジュールの合間を縫って登壇された自由民主党政調会長の衆議院議員・稲田朋美先生が「平成三十年の11月3日を明治の日でお迎えしようと考えており、政調会長として議員立法など議論が出来る立場にもある。『明治の日』制定に向けて国民運動を盛り上げていきたい」と断言されると、会場のボルテージは高まる。
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 最後に、2名の本会実行委員が今後の運動をさらに大きくするべく決意表明を行った。在野の婦人を代表して荒木紫帆・本会実行委員が、「五箇条の御誓文」の下で日本人の特性を活かして為し遂げた一大変革に思いを致し、「明治の日」実現運動に邁進したいと述べ、大阪から皇居勤労奉仕のために上京してきた作業服姿の結束一成・実行委員(西村眞悟事務所秘書)は、明治維新の意義を説くことで全国に広がる運動ネットワークを広げていきたいと語った。
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 閉会にあたり、武田正徳・本会運営委員(日本郷友連盟理事・東京都郷友会理事長)より挨拶に立ち、本年の《「明治の日」を実現する集い》は大きな成果を得て閉会しました。
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 本年の集いには、当日は本会役員として、國學院大學名誉教授大原康男参与、国柱会賽主田中壮谷運営委員なども登壇致しました。また、老若男女の別を問わず多くのボランティアの皆様方に実行委員として献身的な協力を頂きました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。
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 ようやく国会議員連盟の設立が視野に入り、これまで以上に「明治の日」制定の機運を盛り上げていかねばなりません。明治の日推進協議会としては、さらなる国会請願署名活動の展開に加え、「明治」の歴史的意義を再確認する集会などを通じて啓発活動を展開して行く所存です。

 皆さまにおかれましても、「明治の日」制定に向けて、さらなる御支援・御助力を賜りますよう宜しく御願い申し上げます。

産経新聞「正論」欄・大原康男國學院大學名誉教授「いま「明治の日」を制定すべき意義」が掲載されました

本日(平成27年11月10日)の産経新聞朝刊「正論」欄に國學院大學名誉教授の大原康男先生の論考が掲載され、「明治の日」制定の意義について弁を奮っておられます。明日の集会成功への大きな力を頂きました。
是非とも御一読頂き、さらなる運動推進に御協力御願い申し上げます。
【大原康男】「いま「明治の日」を制定すべき意義」

【正論】
いま「明治の日」制定すべき意義 国学院大学名誉教授・大原康男

 去る11月3日、玄関先にマンション用として少し小ぶりに作られた国旗を揚げながら、この日をなぜ「文化の日」と謂(い)うのだろうかとの疑問があらためて頭を過(よぎ)った。

 たしかに「国民の祝日に関する法律」(昭和23年)は11月3日を「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日と規定し、この日には宮中で文化勲章の親授式が行われている。また、この日を中心にして文化庁芸術祭が催されることもあって、今日ではほとんどの人が何のこだわりもなく受け入れているかに見える。

 ≪元は明治の天長節だった≫

 しかし、昭和12年に制定された文化勲章の受章者の発令日は一定してはいなかった。当初は4月29日前後が多く、それが11月3日に固定され、受章者に対する宮中伝達式(平成9年からは宮中親授式)が行われるようになったのは「文化の日」という祝日が誕生してからのこと。したがってこの祝日の趣旨と11月3日という日づけの間には何の必然性もない。なぜこんなことになったのか。

 そのためには近代以降のわが国の祝祭日の中で11月3日にはどのような由来と履歴があるのか、振り返ってみる必要がある。明治6年、政府は「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(太政官布告第344号)を発し、これまで久しくシナ風の五節句を中心に据えてきた祝祭日をわが国の歴史や伝統に沿って抜本的に改めたが、新たに祝日とされた中に紀元節とともに天長節があった。言うまでもなく、明治天皇のご誕生日である。その日が11月3日だった。

 明治天皇が崩御されて大正天皇が践祚(せんそ)されると天長節は8月31日に移った。一方、先の太政官布告は廃止され、それに代わって制定された「休日ニ関スル件」(大正元年勅令第19号)に基づいて、先代の天皇の崩御日を祭日とする先帝祭は孝明天皇祭(1月30日)から明治天皇祭(7月30日)に移る。したがって御代替わりがあっても明治天皇に関わる祝祭日は依然として存在し続けたのである。

 ≪激動の世の苦楽を忘れず≫

 ところが、大正から昭和へとさらに時代が変わると、天長節が昭和天皇のご誕生日である4月29日に移ったのは当然としても、先帝祭が明治天皇祭から大正天皇祭(12月25日)に移行したことによって、激動の世に苦楽を共にした明治天皇に因(ちな)む祝祭日が皆無となったことに、当時の人々は一抹の寂しさを禁じ得なかった。

 かくして明治天皇に由縁(ゆかり)のある日を何か残してほしいという声が全国各地から澎湃(ほうはい)として起こったため、政府は昭和2年に、先記した「休日ニ関スル件」を改正、11月3日を「永ク天皇ノ遺徳ヲ仰キ明治ノ昭代ヲ追憶」する日とし、「明治節」という名の新しい祝日を追加したのである。

 しかるに、先の大戦の敗北によって状況は一変した。連合国軍総司令部(GHQ)は占領政策の一つとして祝祭日の全面的改正を日本政府に命じたからである。その詳細を述べる余裕はないが、かつて本欄でも略述したように、元始(げんし)祭(1月3日)・神嘗(かんなめ)祭(10月17日)のように完全に廃止されたものもあれば、「天長節」改め「天皇誕生日」のように、趣旨はほぼ同じだが、名称が変わったものもある。

 この両者の中間に、国民の愛着が強かったために、日にち自体は辛うじて残ったものの、その趣旨が全く変えられてしまったのが「勤労感謝の日」(元の新嘗(にいなめ)祭、11月23日)と同じくこの「文化の日」なのだ。

 ≪憲法公布日が選ばれたわけ≫

 周知のように、現憲法は昭和21年11月3日に公布された。なぜこの日が選ばれたのか、当時の内閣法制局の幹部はこう説明する。

 GHQは新憲法の制定をひどく急がせたが、どうしても11月初旬になってしまう。公布から施行まで6カ月の周知期間が必要だから、11月1日にすれば、施行は翌年5月1日になってメーデーと重なってまずい。5日にすれば、5月5日の端午の節句に当たり、男女平等を謳(うた)う憲法の精神にそぐわない。そこでその中間をとって11月3日とした-。

 果たしてそうであろうか。時の首相は皇室尊崇の念の篤(あつ)い吉田茂。新しい憲法は国の大変革をもたらすものではあったが、明治憲法の改正手続きに忠実に則(のっと)り、天皇のご裁可を経て公布された欽定憲法であるとの信念を持していた吉田としては、アジアで初めて近代的立憲国家を建設された明治天皇のご誕生日を敢(あ)えて選んだと思えてならない。

 近代日本の興隆をもたらした明治の御代を想起する日-「明治の日」を「文化の日」に替えて新定する所以(ゆえん)について、これ以上多言を弄するまでもあるまい。

 時あたかも11月11日に「明治の日推進協議会」が主催する国民集会が開かれ、田久保忠衛杏林大名誉教授の講演が予定されている。4月29日を「みどりの日」から「昭和の日」に改めた過去の成果を顧みつつ、この運動のさらなる進展を切に望みたい。(おおはら やすお)
プロフィール

ikisaka

Author:ikisaka
11月3日を「文化の日」から「明治の日」に替えるための明治の日推進協議会のブログです。
HP→ http://meizinohi.web.fc2.com/

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